一番初めは、通っている大学院の図書館で「銀の匙」を借りて読んだことだった。高専と共同の図書館なので、漫画だけど教育的見地で蔵書に入っていたのだと思う。軽い気持ちで手に取ったが、農業高校に通う主人公が畜産にふれる中で、自分たちで育てた豚のと畜を見届け、肉になった愛豚を買い取り、ソーセージなどに加工する。殺して食べることに悩み学んでいく主人公たちの姿にすっかり引き込まれてしまった。
さらに、「世界屠畜紀行」という本を借りて読んだことで、屠畜についてもっとちゃんと知りたい、知るべき、という気持ちが強くなっていた。
焼肉屋、牛丼屋、ハンバーガー屋があらゆる所にあり、どのコンビニの店頭にも唐揚げが売られ、トンカツも生姜焼き定食もこんなに周囲にあふれているというのに、肉を作る工程をほぼ切り身になった以降しか知らないのは何故なんだろう、というか、いかがなものかと思った。
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そして今日、2017年3月7日(火) 。
たまたま品川に所用があり、昼に所用が終わって14時頃まで空き時間があったため、お肉の情報館に寄ってみることにした。
「世界屠畜紀行」には、かなり細かく芝浦の屠畜の工程も描かれている。文章とスケッチが主だが、偏執的(※褒め言葉)と言っても良いくらい丹念に記述されている。
しかし、実物をやはり自分の目で見ておく必要はあるだろうと思っていた。と畜場はいきなり入れる場所ではないので、まずは併設され一般公開されている情報館から見学することにした。
と畜場及び市場は、地図で改めて場所を見てみると、本当に品川駅の目の前にあって、かなり広大な面積を占めている。品川には何十回となく来ているのに、今朝改めて確認するまで情報館の存在も知らなかったし、と畜場の前を通ったこともなかった。こんなに駅すぐの場所にあるのに。
食肉市場の存在は知っていても、中を見学できるとは知らない人も多いかも知れない。
情報館は正門ではなく、横手の開かれた入り口から入るのが正式っぽいが、正門の受付で聞いたら守衛さんが正門から入れてくれた。守衛さんから、「あの赤い矢印が書かれたドア入って6階にあるから、エレベーターで上がってね」と教わる。
建物の入り口で5人組くらいの若い男女のグループとすれ違った。一瞬、ここにこんな若い人たちも働いているのかなと思ったが、後から思えば見学者だったのだろう。他の人々の作業着やスーツとは一線を画する完全に私服だったし、すれ違った時に女の子の一人が「私あれが無理だったー」とか言っていた。
お昼どきのせいか、エレベータはけっこう人の乗り降りがあった。お肉屋さんのような全身白いコスチュームの方や、上下作業服の方、事務方なのかスーツの方も見かけた。
建物内にはちょっと牛丼みたいな美味しそうな匂いが漂っていると感じた。もしくは牛革のカバンや靴に鼻を近づけた時のような匂いとも言えるかもしれない。エレベータは密閉空間なので、エレベータに乗っている時により強く匂いを感じたように思う。でも決して嫌な匂いではなく、暖かいような、何かほっこりした匂いだった。
6階に着くとすぐ目の前にガラスのドアがあり、その中に受付があって、おじさんが一人座って番をしている。
受付簿に入館時間と名前と人数を書いて、入館する。
館内写真撮影禁止とあちこちにはっきり書いてあるので、念のため携帯をポケットに仕舞う。
中はさらっと見れば5分か10分で見終わる程度の広さ。(でも私は結局80分ほどいたけど)
壁にぐるりと展示パネルが貼ってあって、芝浦と畜場の歴史のパネルの後は、と畜の工程の説明が詳しく描かれている。牛が上段、豚が下段。同じ手順の所もあるし、異なる手順の所もある。
アクオスのテレビモニターがあって、牛の屠畜(9分)、豚の屠畜(6分…だったかな)のDVDを自分で操作して見ることができる。
その中ではかなりしっかりと工程ごとの映像を交えて説明がされていた。
あらかじめ書籍「屠畜紀行」で予習した通りだった。
牛には眉間のところに空砲銃という銃で針を打って気絶させ、くずおれたところを、柵の壁がくるりんと回って向こう側に牛の体を押し出し、押し出された先にいる係の方が喉胸あたりを割いて、まずは血を出す。そして頭を切り取り、足を切り取る。
豚は柵内に追い込んで電気ショックを与えて、やはりくずおれたところを、柵の壁がくるりんと回って向こう側の工程に豚を押し出す。そこですかさず、牛と同じように腹を切って、まずは血を流し出す。
牛も豚も放血の時は血がどばどば出るが、床がアミアミになっていて下に落ちるし、水を流しながらやっているので、どのくらいの血なのかはわからない。が結構な量で、捨ててしまうのがもったいないようにも思う。仕方ないのかもしれないが。
映像を見ていると、作業している方の手際がものすごく良い。割くべきところを一発で綺麗に割く。
ナイフをちょいちょいと動かして、一切り、二切り、三切りすると血管がばしっと切れたり、内臓がぶるんと取れたりする。本にも書かれていた通りだが、とにかく速い。
このビデオで、本のイラストで見た場面が裏付けられるとともに、自分の中で実写のイメージになった。
映像で印象に残ったシーンは、追い込まれた動物が電気ショックや空砲銃でくずおれてからナイフが入って放血が行われるまで。
ナイフを入れて内臓を切りすすめると、動脈の血管を切っているのか、ドバッと放血する。
それを見ていて、殺す瞬間・死ぬ瞬間というのがあるわけではなく、気絶している間に腹を割かれて放血して、少しずつ死んでいくんだなーということを思った。そしてなぜか、生殺与奪権という言葉が頭に浮かんだ。
さて、情報館のその他の見所としては、実寸の模型がある。
黒々した牛。
添えられたプレートに、高さ140センチ、全長170センチ、800キログラムと、確か書かれていた。
想像よりも倍くらいでかい。
横には肌色の豚。
こちらは思ったよりも小さかった。人間くらい、と言おうか。形がかわいい。
ちょうど、近所のクイーンズ伊勢丹の売り場にオイシックスの野菜を並べたコーナーがあって、そこに豚の模型が、後ろ足を爪先立ちにして野菜棚に前足をかけたような格好で据えられている。
その豚は少し小さく作ってあるのかなーと思っていたが、実はそれが実寸だった。
作業服を着た人の模型も3か所くらいに配置されていて、ほかの見学者がいないのにときどき人の気配を感じてしまう。笑
それから、館内には枝肉の実寸模型も飾られている。
枝肉は、血を抜き、内臓を抜き、皮をむいた牛や豚を縦半分にさばいたもの。つまり半身だ。
実は私、ついこの間までそんなことさえ知らなかった。枝肉は一頭分の肉かと思っていたのだ。
牛の枝肉は、ただでさえ大きい牛がビロンと広がって吊るされているので、高さ的には3メートルくらいあるんじゃないかと思う。後ろ脚の部分をカギにひっかけられていて、下の方にもう1つの脚がある。前後とも足先は切り落とされている。
重さが書いてあったが忘れてしまった。頭や足や皮や内臓を除いて半分に割るとそんなもんかーと思ったのだが。数字に弱くて困る。覚えられない。
牛の枝肉はA5を最高ランクとする15段階に分類されるとのこと。
芝浦に来る牛は黒毛和牛など高級なのが多くて、牛肉になっても高級店で売られるようなものが多いと、本に説明されていた。
一方、豚の枝肉は想像していたたより小さかった。というか豚自体が思っていたより小さかったので、肉にして半分にすると、結構小さいな、と感じた。
たまにイタリア料理の店で見かけるハモンイベリコなどの生ハムの塊があるが、あれの4倍くらいの大きさしかないイメージ。
豚の枝肉の等級は5段階に分けられるらしい。
館内後半は、食肉の仕事に関わる人への差別撤廃についての展示になっていた。
汚い字だが大人と思われる少し難しい漢字が使われた、ハガキにみっちり書かれた罵倒の文面。
一方、見学に来た蒲田小学校の6年生など、児童からの応援の手紙も展示されていた。見学のお礼を兼ねて、食肉市場で働く方への尊敬や学んだ内容への理解がしたためられたもので、署名部分は隠されていた。
差別撤廃のところにも数分の映像を見せるテレビモニターが置かれていた。
映像を見ていて改めて再認識したこと。
縄文時代には日本では肉を食べていたが、飛鳥時代あたりに仏教の影響で殺生が禁止となり、それから1700年代くらいまで肉食が禁忌とされていたこと。
ただし、こっそり肉食することはずっと続いてきたっぽい。
江戸時代に山くじらなどと称して堂々と店が出てイノシシ肉などを食べさせていたことなども展示に書かれていた。
文化が違えば、食べて良いもの・悪いものも変わる。
宗教との関連もあるし、イヌイットのアザラシのように自然環境のこともあるだろう。
それに適応した形で人間の消化器官も進化を続けてきているのだ。興味深い。
ちなみに、そのDVDの中で、年表みたいな画像が示され、現代から古代へ、左から右に時代を遡っていく映像が出てくるのだが、年表の幅がおそらく実際の年数に対応したような幅になっていて、弥生から縄文時代に至るまでの幅が「あれ、まだ?」と思うくらい長かったのが印象的だった。
そりゃあそうだけど。紀元後まだ2000年しか経っていないが、縄文時代って1万5,000年前頃と、かなり前だものね。
差別の展示の後は、内臓の展示。
牛と豚の舌・心臓・肝臓の実寸模型が展示されている。
重さも実際と同じに作ってあるらしい。
牛はかなりでかい。舌、心臓もでかいが、肝臓に至っては軽く40センチはあり、片手では持ち上がらないほどの重さだ。
でも牛の体積の中で最も多くを占めるのは、胃らしい。それは壁の展示の絵に書かれていた。
ビデオの中で、内臓がずるんと出てくる場面があるが、確かに、白っぽい胃みたいなものがかなり大きかった。
壁の展示では、内臓の部位や、内臓料理のレシピなどが説明されている。
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受付の真正面には一台のパソコンが据えてあって、先ほどのものを含む全てのDVDコンテンツを観ることができた。
工程の説明、差別のほかに、せりの様子などもあって、せっかくなので座ってひとしきり見る。
帰り際にふと気づくと、出入口の横に参考図書の本棚があり、結構いろいろな資料が揃っていた。自由に閲覧できるので、せっかくなので色々な本をめくってみる。
なかでも、「牛を屠る」という本に興味を惹かれ、手にとって10分くらいパラパラと読んでみた。
それは佐川光晴さんという、実際に大宮と場でと畜に携わられていた方が書いた本で、「世界屠畜紀行」とはまた違い、当事者としての体験や思いが綴られていて、大変興味深かった。
疑問だったのが、あれだけ大きく丈夫そうな動物を切る刃物類は相当切れ味鋭く、しかもものすごいスピードで作業を進めるので、人間が自分や同僚を傷つけてしまうことはないのだろうか?ということだった。
その点に関し、筆者の佐川さんによると、やはり事故はあるそうで、ご自分の手を切ってしまった時の記述は大変リアルで恐ろしく、寒気を覚えた。
パンフレットもたくさん用意されていて、立派な冊子までご自由にどうぞと積まれていたので、いろいろともらってきた。
もらってきた冊子・パンフはざっとこんな感じ。
・食肉の知識(209ページ、公益社団法人 日本食肉協議会)
・はなしのご馳走(111ページ、公益社団法人 日本食肉協議会)
・パンフレット これだけは知っておきたいお肉のABC(全国食肉生活衛生同業組合連合会/都道府県食肉生活衛生同業組合)
・パンフレット3種類:食肉のまち・品川発−芝浦ブランド、市場のしおり、食肉市場・芝浦と場では、どうやってお肉を作っているの?(東京都中央卸売市場食肉市場)
・お肉の情報館パンフレット(東京都中央卸売市場食肉市場)
・リーフレット 牛の一生/豚の一生
・リーフレット 銘柄肉一覧表
・リーフレット 牛の格付
・リーフレット 枝肉の格付・肉部位・内臓部位
・リーフレット 大動物(牛)・小動物(豚)せり表示盤の見方
受付番の方に、「勉強になりました」とお礼を述べて情報館を退去し、エレベータで1階に降りた。それから建物の正面から出て、品川駅に向かう。
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去り際、敷地を出て正門の前の横断舗道に差し掛かった時、
黒い大きな牛が並んで乗せられた大きなトラックが、不意に右手から現れた。
私の目の前を左に曲がり、芝浦と畜場の敷地内に入っていった。
一瞬の出来事だった。
通りかかったサラリーマンの二人組が「あ、牛だ」と反応していた。
写真撮りたいかも、ていうか敷地の外だからOKじゃない?、という一瞬の思い。
でもそれより、これから食肉にされる牛たちの姿をしっかり見たいという思いが勝った。
同じような黒毛だが、牛たちの大きさや目つきの感じは、それぞれ微妙に違っていた。
真ん中あたりに乗せられたひときわ大きい牛が、大きいがうつろな目で、こちらを見ていた。
牛としっかり目を合わせて、すぐ目の前の角を曲がって敷地に吸い込まれていくトラックを見送る。
芝浦では全国のと畜場で最も多い、毎日430頭の牛を処理するらしいから、車に乗っていた10数頭なんて本当に一部。
でもやはり実物の牛の存在感はすごくて、ビデオで見るのとはまた違っていた。他人事感が違うと言おうか。
黒い目玉が動いて毛皮をまとった、命を持って生きている牛が目の前にいた。
彼らは車から降ろされた後、さっきビデオで見たように、すぐに血を抜かれ、頭と足を切り落とされ、皮を剥かれ、内臓を抜かれて、肉になるのだ。
殺して食べるということ。
そこには重みがあるはずなのに、その重みをこうした屠畜場などが一手にクローズドに引き受けているからこそ、重みが他人事になるのではないか。
このようにして毎日牛が殺され、その肉をいただいているのだとわかれば、よほどのことがなければ肉を捨てたりなんか出来ないと思うのだけれど。
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数日前にたまたまテレビでやっていた映画「ベイブ」を見た。
可愛い子豚が、擬人化されたベイブという賢い豚を演じている。アフレコしている子供の口調もあいまって、本当にとても可愛い。
「世界屠畜紀行」に、娘さんと映画「ベイブ」を見に行ったことをきっかけに、自分のやっている豚の屠畜の仕事を再認識してしまいつらくなったという女性職員の方の話が書かれていた。
ベイブはとても賢かったので、ご主人のおじいさんがコンテストに出そうとして、家畜なんだけど家に入れてあげる。すると、意地悪な飼い猫が嫉妬してベイブの顔を引っ掻く。猫はおじいさんに外にポイと出されてしまい、ベイブの事を恨んでいた。
それで、次にベイブに会った時に、意地悪を言うのだ。
羊は羊毛として、犬は牧羊犬として、猫は人間の心を和ませるコンパニオンとして、人間に飼われている。
では、人間が役立たずの豚を飼う理由はなんだと思う?それは食べるため。それしかないでしょう。あら嫌だ、私悪いこと言っちゃったかしら。
ベイブは「豚は食べられるためだけに飼われているのか」とショックを受けて、家出してしまう。
そういう話が出てきた。
でも実際に、その話はある程度正しい。豚皮のカバンとかあるけど、基本的に豚は食べられるために飼われている。
豚や牛を入れて電気ショックや空砲銃を打ち込むための専用の囲い。
各部位を切るための専用のナイフや、効率良い作業を実現するエアナイフ。
切り分けた内臓などの部位は専用のベルトコンベアに乗せられ、次の工程に運ばれていき、極めて効率良く検査や処理がされる。
豚の皮むき機は横にゴロンと豚を横たえて端っこを挟むと、ローラーが回って皮が剥けていく。
牛の皮むき機は上から牛を吊るして、下にローラーがあり、左右から人間がナイフでアシストしつつ、皮が上から下に向かってベロンと剥けて下にあるローラーに巻き込まれていく。
そんな専用の機械たちも、効率化のために開発され実用されている。
人間、思えば遠くに来たもんだ。
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その後、次の訪問先に向かう都バスの中で、世界屠畜紀行の続きを読んでいたら、また芝浦と場のことが出てきた。
人間は、肉を食べるように進化してきたとはいえ、現在のように大量消費して食べ残しをしたりすることを目指していたわけではない。しかし、肉を作る過程がと畜場内に閉じられ、さらに機械化など効率化を頑張ったせいで、安全な肉を清潔に安く手に入れられようになった。その結果、命を犠牲にしてくれた大切な食べ物であるところの食肉を無駄遣いするようにもなってしまったが、それは目指していた姿ではない。
効率化や、人間が苦労せずして豊富に食べ物を手に入れられるようになったことは素晴らしいことだが、それによって大量生産・大量消費がもたらされてしまうのであれば、その状況は糾すべきなのではないか。必要量のみを生産して、少し高く売るようにすることで、無駄にしなくなるんじゃないかと、筆者も書いていた。
「ぼーっとした家畜の方が可哀想感なく殺せていいんじゃないか」と問うた筆者に対して、インタビュー先の方が「むしろ、愛着のわいた動物こそを、それでも殺して食べるんだというような覚悟が私たちには必要なのではないか」と言ったように答えていたのが印象的だった。
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